ポエム

あえて「前も言ったけど」と言う

一般的には「前にも言ったけど」という言葉はコミュニケーションでは禁句とすることが多いように見受けられる。
Googleで「前にも言ったけど」と検索すると、そういった記事が多い。

前提として、そういった主張に対して肯定だし、その通りだとは思っている。

(追記)この記事がきっかけでABEMA PRIMEに出演させていただきました

ABEMA PRIMEという平日のニュース番組に出演させていただいた。

議題としてはこの記事にドンピシャの話で、「前にも言ったけど」という言葉がXにてバズっていたので、それについて・そしてそこから部下への指導方法についてのお話の回だった。

下記にて視聴可能となっている。
https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p6002

またはYouTubeでも。

確かにこの記事が最近見られていることはわかっていたが(と言っても1日70PVが120PVに上がっただけなんだけど)、大してバズったわけでも無いし大して検証などを行ったような話でもなく、そのためXにてDMの通知で文章だけ見たときはなんか新手の詐欺なのかと思ったぐらい現実感はありませんでした。

せっかくお誘いいただいたので参加しようということで参加させていただいた。出たとこ勝負だとは思っていましたが、それでも一応ITエンジニアとしてIT業界全体にある仕組みや環境を良くする文化を伝えられると嬉しいなと思っており、そういう意味では少しは伝えられたかなと。一方で30分という長いようで短い時間で、もう少しいろいろ話せることもあったかなとも思っている。改めてそういった点を含めて、この記事に追記しておく。

追記終わり。

(2024-10-17追記)前提

「前にも言ったけどさ」というシチュエーションは大雑把に2つあると考えている。1つはわからないことを先輩に聞きに行ったとき、もう1つは以前聞いた注意を怠ってミスをしてしまったときだ。

この話は全編通して後者を想定している。というのもあんまり前者の経験が無いからだ(聞く側ではなく聞かれた側の立場で、という意味だ)。正確には聞かれることは何度だってある。が、正直「あれここってどうなってましたっけ」とか「昨日の話もう一度言ってもらえない」とか言われても、私としては特に何も思わないからだ。

一方で後者はとても思う。昨日言ったんだけどなぁとか。とか。最悪なのは変に記憶が繋がって3か月前に言ったことすら思い出したりする。そう思ったうえでそれを課題だと感じ、考えた結果この記事に書いたような思想もあるんじゃないかという意見を持ったのだ。

追記終わり。

なぜ駄目なのか

なぜ駄目なのか、それは相手の感情部分によるところが大きいと感じる。
呆れ気味に「これ前にも言ったよね」などと言われると、相手からの信頼を失ったように感じるし、パワハラのようにも感じるのは当たり前だ。

枕詞としては基本不必要に感じる、という意見も多い。確かに、言わなくても伝わる。
基本的に人間は一度言われた程度で覚える人のほうが少ないし、何度も言うことはコミュニケーションの前提だからだ。

(2024-10-17追記)
現代ではパワハラだなんだと騒がれるなんて話もあるが、それを抜きにして考えてもメリットは薄い。最大の問題は相手の能力のせいにしてしまうことだ。つまり相手が覚えていないから・相手がちゃんと作業を確認しなかったから、そういったものが原因となってしまう。
しかしながら、特にエンジニアとして働くうえで、もちろん自分の能力が足りていれば防げたかもしれないミスは何個もあるが、ミスの責任を人に押し付けてしまうと本当に改善すべき点が見えてこない。マーフィーの法則も「失敗する可能性があるなら、あいつは必ず失敗しちまう」というようなことを伝えてくれている。つまり、失敗する可能性があるなら、能力が高くても失敗するんだ。
本当にやるべきは、失敗する可能性を低減することだ。これは環境を完全することであり、失敗しないための仕組みを作ることである。

大抵の場合「前も言ったんだけど」という注意は、環境の改善も失敗しないための仕組みを構築できていない。のであれば、何らかの形で人間が再度そのミスを起こさないようにする必要がある。そのために前も言ったけどを戦略的に使ってみるのはどうか、という話だ。

追記終わり。

なぜあえて言うのか

私はエンジニアであるため、プログラムを書く部分で「注意点を言われること」は発生する。プログラムを書く際にコードやコメントだけでは表記しきれない注意しなければならない部分というのは時折発生するが、そういった部分は往々にして口頭やレビューを通して伝わることが多い。
例えば「getHogeという関数は、事前にinitializeDbという関数を呼び出してなければならない」といったようなものを口頭で言ってもらうとする(例として出しているが、この経験はない。あったとしてもコメントで書くか、そもそもそういった暗黙的なルールは無くしてくれ、というのはある)。たとえ言われたとしても、その数時間後にinitializeDbを呼び出す前にgetHogeを呼び出してしまい動かなくなり、先輩エンジニアに聞いて「さっき言ったけど…」となる。

正直「前にも言ったけど」だけ伝えるのは良くない。上記に記載した理由とまさしく、言葉として不要だし、「お前はちゃんと私の言葉を聞いていなかったんだな」というような威圧感を与えてしまうかもしれないからだ。
一方で重要なのは 「経験」と「言葉」がリンクした ことである。つまりinitializeDbを呼び出してからgetHogeを呼べという言葉の意味を、経験によって初めて理解した瞬間となる。

(2024-10-17追記)
エンジニア以外の人に向けてわかり易い例が無いかなと考えて、カレールーの話を考えた。カレールーを使った人なら分かると思うが、カレーの作り方のルーをいれるタイミングで「火を消してからルーをいれる」というのがある。火をつけたままルーをいれると小麦粉がデロンデロンになり溶けづらくなり、最終的にダマになってしまう。ただ、正直その背景はルーの箱に書いてない。とりあえず面倒なので火をつけたままカレールーを割り入れ、なんかカレールーが溶け切らなくなってしまった人がいるだろう。奥さんに聞いたら「箱に書いてあるじゃん」って。こうして言われた(この場合は読んだ)ことを体験として実感することで、次回から火をつけたままカレールーを割り入れることはなくなるだろう。まぁ、この場合は別に課題ではないので、後述に添うとあまり良い例えではない。

追記終わり。

この場合、言ってしまえば「口頭で伝える」という事象は仕組みで回避できないことから発生している。例えばドキュメント化すれば回避できるかもしれないが、解決するためのドキュメントの存在を、必要なときには思い出せないものだ。
これはすなわち人間が注意しなければならない点が発生しているというわけだ。

エンジニアだけではない話で、一般的に注意しなければならない部分が増えるのはヒヤリハットの原因であり、それは重大な障害への道の1つとなる。すなわち、このような会話を起こしている時点で「我々には小さな穴がある」と言っているのだ。
一方で、そういったことはどんな仕事でも多分に含まれている。相当練度が高くない限り、どうしても人が注意しなければならない点は存在する。
そのため、知らないことを知るだけではなく知っていることを自分の常識までを高める必要がある。これは仕組みで避けられないなら必ず発生すると考える。ドキュメント化はそのための補遺的手段の1つだ。

もし他の人においてそういったことが発生した場合、私はだいたいこう声をかける。「これがタスク前に言ったやつなんよ、どうにかしたいんだよねぇ…

知識のリンク

最大の理由は知識をリンクさせるためである。

個人的な感覚ではあるが一般的だと思っている話として、3回言われると大体の場合記憶すると思っている。長期記憶とまでは行かないが、一ヶ月程度はその物事に出くわすと記憶が蘇る、という感覚。また、これも個人的な感覚ではあるが、2回目以降に言われた瞬間「あ、あのとき言われたことか」となったらそれ以降忘れる可能性が低くなる。

そのためのヒントとして「いつ言ったか」を必ず付け加えるようにする。「タスク前に言ったやつ」とか「これがオンボーディング中に言ったアレ」とか。そうすると「なるほど、これがあのときのアレか」とか「なるほど、だからあんなこと言ってたのか」となる(と期待している)。
「あのときああ言っていたのはこういうことか」となっていただければ幸いである。

課題を自分のものにさせる

これは「前にも言ったけど」を言う直接的な理由ではないが、大体その言葉の後ろに「今はこうなっている」とか「現状直せていない」とか「どうにかしたい」などの言葉を入れている。それは、今あなたに起きている現象は(小さいながらも)私は課題だと感じています、という意図を表すためだ。

大体こう言葉をかけられた人は、これが課題だと感じて、なんかしらかの解決策を考えてくれる。もしかしたらエンジニアの性だからかもしれない。

そうすると課題が自分のものになり記憶に強く定着する。あわよくば良い解決策が思い浮かぶかもしれないし、そうでなくとも何もしなくても記憶への定着が良くなる(と思っている)。

課題に対してのみ言う

こういったケースは課題ではなく約束事や注意点のようなものもあるかもしれない。例えばgithubからcloneしたらまずはnpm installを行う・テスト実行前にはエミュレーターを起動する・ローカルで実行する前にDBへ初期データを流すなど。

こういった場合でも知識のリンクのために言ってもいいかもしれないが、大体の場合はデメリットが多いように感じる。オンボーディング直後などの知識が浅い場合に「オンボーディングのこのときに言ったやつが今この状況です」的な感じで言うのは問題ないとは思うが、約束事というのは大体の場合将来に渡って何度も実行する。

「このテストが動かない」と言われ、「git pullした?」「エミュレーター動かした?」とトラブルシューティングを行い、約束事が実行されていなかったことが原因だったとする。もちろん約束事の実行が忘れられるようなものであればそれはそれで課題かもしれないが、チーム内ではそういうものであるという認識が強いため、やはり責任の所在はミスを犯した方と判断されてしまう。少なくともミスを放した人は自分の責任だと感じるだろう、僕ぐらい傲慢でなければ。そのタイミングで「前も言ったけど」などと言われれば責任を増加させかねない。

(2024-10-17追記)
加えて、こういった注意点には大抵の場合**「目的」と「しなかったらどうなるか」が書いていない**。上記のカレーのルーの例ではまさしくそうで、カレーの箱に「溶けやすくするために温度を下げます」なんて記述は見たことがない。そういうのは基本的に言葉と体験を最低1回、普通なら2, 3回は経験しないと常識レベルに身につくことはできないと思っている。まぁ、100回忘れてたら流石に「別の手段を考えるかちゃんと覚えてくれ」と言うだろうが…。
追記終わり。

一方で課題と感じる部分に関しては、責任はそのような課題を作ってしまったチーム側に移る。別にこの課題を作った人が悪いわけではない。数ある選択肢からその課題を受容することが良い考えているからそうしているわけで、強いて言うならその課題はチーム全体で受領しているわけで、すなわちチームの責任だろう。
だからこそ「このような課題は事前に話すほど引っかかりやすいです」という共有をした上で、「このとき言ったことがそれですよ」という記憶への道標のため・あわよくばの解決のために「どうすればよいか」、言葉を付け加えている。

最後に(別名書きなぐり)

とは言えど、「前言ったけど」といのは一般的には良くないとされているのだ。色々考えている。

昔使っていたのは「前言ったけど、どこで言ったんだっけ。まぁ、どうにかしたいんだけど、こうなっているんだよね」というもの。そして、その後「あぁここだ」といって、その課題が記載されているドキュメントのリンクを送る。
自然っぽく言っているが、大体の場合は戦略的に言っている。大体の場合はドキュメントやソースコードのコメントに記載があるため、相手の記憶に残る方法で課題があること・前いつ言ったかを相手に思い出してもらうこと・今後はドキュメントやソースコードのリンクを見ればよいという意図が込められている。今後の質問も「前も言ってもらったアレについてのドキュメントどこでしたっけ」といった質問になるので、解答は多少楽だ(リンクを送れば良い)。
が、まさしく駄目な言葉の例ではある。

最近では具体的な時間を言うようにしている。「これがタスク開始前に言ったアレね」的な感じ。正直意味の違いはないが、なんとなくお前が悪いんだ感がない(ように感じる)。

「前も言ったけど」というニュアンスを完全に排除した「それは〜という理由で発生するので、ここを見て」といってリンクを送るのも全体的に正しいだろう。基本的に人は知識のリンクをするのだから「あ、これ前言われたあれか」となり言われた側は少しだけ申し訳なくなる程度だ。
が、やはり私はあえて過去言った情報を含める。シンプルに、そう言わなかった結果、結局何度も質問されるハメになったからだ。だからといって、「前言ったけど」と言ったから質問されなかったかどうかは、今になってはわからない。

「〜で言ったことの繰り返しになっちゃって申し訳ないんだけど」と言おうと現在は考えている。相手側が悪いという雰囲気は微塵も感じられないし、何ならへりくだっているようにも受け取れる。これは私個人的な感覚が大いに含まれている。
というのも、傲慢にパーカーとジャージを着せた私は2回人の話を聞かないと理解できないのに同じ話を2回されるのが好きではない。自分の感覚を他人に押し付けているようにもするが「同じ話をしてごめんね」という言葉通りの意味が最大限含まれている。一方で上記に記載した記憶のリンクというのも損なわれない。

人間が解決策を思い出すためにはイベントのトリガーが必要になる。
ただ、一度人の話を聞いただけでは、課題が発生した場合でもそのイベントのトリガーの発動確率は高くない。だから再度人に聞く。そして事象と解決策がようやくリンクする。再度事象が発生した場合、すでに事象と解決策はリンクするため、記憶やドキュメントから解決策を復元できる。また、2つの事象が異なる場合、より汎用的(共通的)な部分と解決策がリンクする。その時に再度人に聞く可能性はある。このときは「これは実は前の原因と同じなのよ」などと言ったりする。とにかくリンクさせることを重視する。そうして、人は学んでいく、そう思っている。

書きなぐっては見たが、最も大事なのは相手へのリスペクトだろう。「これ前にも言ったじゃん」という言葉が悪いとされるのは、そこに相手を見下す雰囲気があるからだろう。しかしながら、大抵の場合その知識に限って私のほうが知っているだけなのだ。
何度も記載するように、一度聞いたことを記憶する人間なんてほとんどいない。2回目以降も上手くリンクできず何度も人に質問する人だっているだろう。私は比較的2回目以降は記憶に残りやすい方ではないが、そうではない人も多い。
あくまで記憶のリンクを助長する前提でそして相手へのリスペクトを忘れさえしなければ、問題ないのではと考えている。

ちなみに、これを書いている理由は、今後オンボーディングの担当になったりしたときの自己紹介に挟むためだ。「前言ったけど」と言っても、上記理由なので、許してくれ。